What's? ULTRAS NIPPON

【序章】
1998年6月20日、ナントのスタジアムに「ULTRA'NIPPON」の巨大なフラッグが現われた。その瞬間、場内はざわめき、フランス人の観衆は待っていましたとばかりにカメラのシャッターを押した。サッカーの本場のヨーロッパにおいて、初出場の日本のサッカーチームと同等かそれ以上に注目を集めたのが青い集団、「ULTRA'NIPPON」であった。欧州や南米のサポーターに匹敵する本格派でありながら、その単なる模倣ではなく日本の独自性をしっかりと主張した応援スタイル。マナーの良さ。性別 、年代を問わない一体感、団結力。どれもが、FIFAワールドカップの歴史に新鮮な驚きと賞賛をもって迎えられた。

【誕生】
「ULTRA'NIPPON 」の象徴ともいうべき「12」のフラッグには「SINCE 1992」と記されている。“1992”とは日本代表チームが初めてアジアチャンピオンとなった記念すべき年のことだ。当時の日本代表監督、ハンス・オフトはサポーターに対して「君たちは12番目の選手なんだ」とサポーターの力の必要性を訴えた。それに答えるかのように、海外留学経験のあるものや、欧州のサッカーに精通 した人々がサポーターの中心となって、革命的なスタイルでの応援を始めた。はっきりとした起源はないが、1992年に広島で開催されたこのアジアカップの決勝戦が「ULTRA'NIPPON」の誕生とされている。

【ULTRA'とは】
そんな「ULTRA'NIPPON」だが、組織化されたサポーター集団だと思っている人は少なくないだろう。しかし、実際には会員規約のような堅苦しい規則もなければ、メンバーを規定するような定義もない、完全な任意団体である。つまり日本代表を応援したいと思う人なら、誰でも「ULTRA'NIPPON」の一員なのである。本来「ULTRA'」とはイタリアの「ティフォージ」やアルゼンチンの「インチャ」のように、応援団の中でも過激な集団をさす言葉として使われることが多い。しかし「ULTRA'NIPPON」は、応援する方法に限定されない、日本代表を応援する心を持った人々=「サポーター」という言葉に込められた意味を大切にしている。つまり、日本のサッカーを支えている人々はすべて「ULTRA'NIPPON」なのだ。

【これからの夢】
あのドーハの悲劇からちょうど2年経った1995年10月28日。愛媛のスタジアムを埋め尽くしたブルーの旗に「GO TO FRANCE」という文字と「SEE YOU 2002」という文字が「ULTRA'NIPPON」の夢として刻まれていた。チケット問題などで決して良い思い出ばかりではないが、悲願であったFIFAワールドカップ出場の夢はかなった。しかし、2002FIFAワールドカップ、アジアで始めて、しかも史上初の共同開催という大会。私たちにはホストカントリーのサポーターとして、これを成功させるという大きな夢が残されている。この夢の実現には多くの人々の力が必要なのだ。皆さんも「ホストカントリーのサポーター」としての2002FIFAワールドカップの成功を実現しよう!!



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